6年前の8回戦

突然思い出した。

何年も前、後楽園ホールでショッキングな試合を見た。セミファイナルくらいの、8回戦の試合だった。

赤コーナーからリングに飛び出していったのは若くて有望だったボクサー、彼は名前を「家康」と言った。後楽園ホールではとても珍しい、若い女の子ばかりの応援団が
「イエヤス!(チャッチャ)イエヤス!(チャッチャ)」
とかけ声をかけていた。

彼は当時、たしか8戦全勝か何か、華々しい戦績の持ち主で、いわゆる新進気鋭のスター選手だった。見た目もちょっとかわいくて、女性ファンも多かった。ただ、ファイトスタイルはやや雑で、結構パンチをもらってしまうタイプに見えた。僕はディフェンスがウマイ選手が好きで、逆に彼のように「タフ」な選手はあまり好きではないのだ。だから僕は試合開始しばらくしてから、8ラウンドであの劇的なシーンを見るまで、終始対戦者の「橋口」という選手を応援していた。

橋口はロートルのいわゆる「かませ犬」に見えた。ちょっと頭が薄くなっていたし(すみません)、戦績も勝ち・負けがほぼ五分五分。見た目ではイエヤス選手の圧勝だったのだが、この選手、ベテランだけあって非常にいいボクシングをする。冷静だし、軽量級の醍醐味である、ディフェンスとパンチのバランスが非常に良い。「一発の重み」はそんなにないが、的確でキレのいいパンチを当てていく。年齢的にも30歳に近かったのに、気力が充実していたのかスタミナ切れで鈍るということもなかった。

試合はポイント的には橋口有利で続いた。これはボクシングの道理だ。ウマイやつがポイントを重ねていく。しかしながら、イエヤスは当てられても当てられても効いた素振りが無い。ものすごくタフなのだろうか。ひょっとしてものすごい逆転などがあるかもしれない。いやそれよりも、イエヤスはこんなにパンチをもらって大丈夫なのだろうか。6ラウンドくらいから少し不安にはなっていた。さっさと倒れてくれた方が安心だ。倒れてくれ、イエヤス。橋口、早く倒せ。

そう思っていた僕は、イエヤスの応援団の黄色い声援に負けじと声を張り上げていた。気がつけば立ち上がって「ボディ空いてる!」「橋口!左当てて行け!」などと叫んでいた。

そして、最終の8ラウンドが来た。ラウンド中盤、橋口のパンチ(右フックだったと思う)がイエヤスの顎に当たった。そして、イエヤスはそれまでピンピンしていたのに、何かの線が切れたかのように、前に向かって白目をむいて倒れこんだ。凄絶なKOだった。後楽園ホールは沸きに沸いたが、イエヤス応援団は悲痛な表情で沈黙した。僕は長かったこの試合が「もっともありうえべきカタチ」で幕切れたことに興奮していた。そうだこの試合は、ずっとこうなるべくして進んでいた。これは必然だった。そしてイエヤスは、すぐに担架で運ばれて出て行ってしまった。
素晴らしい勝利をおさめた橋口は感無量である旨をリングで述べた後、「絶叫的に」応援していた僕と僕のとなりの兄さんに向かって深々と頭を下げて
「ありがとうございました!」
と一言叫んで帰っていった。

以上が、僕のボクシング観戦経験の中でベストバウトの一つに数えられた「イエヤスvs橋口」戦だった。そしてその後、僕はキックボクシングばかり見るようになり、ボクシングの情報から遠ざかっていった。

2005年、後楽園ホールに久しぶりに 日本フェザー級タイトルマッチ、榎vs金井を観にいった。この試合内容がちょっとだけイエヤスvs橋口に似ていたためか、急にあの試合のことを思い出し、
「そういえばイエヤスはどうしているだろう」と、Googleで検索してみた。

すると、

「矢代選手,依然予断を許さぬ状況」
「日本ミニマム級6位の矢代家康選手(日東)が、 最終ラウンドにKO
負けした直後、意識不明となった。 ただちに東京・港区 ... 」

などと不穏な文章が幾つか出てきたのだった。

彼は、あの試合で昏睡状態に陥り、「急性硬膜下血腫と脳腫脹」と診断され、その後40日に及ぶ低体温療法で回復した、とのことだった。
僕は驚愕した。あの倒れ方はヤバイとは思った。それよりも、あのパンチをもらってももらっても倒れないという彼の「頑張り」が観客に恐怖心を与えた。これはこういう結果を導いてもおかしくはない、まさに地獄へのハイウェイだったはずだった。命が助かったとあって少しはほっとしたものの、僕の心にはあの試合が生んだ結果のリアリティはなお重くのしかかった。
絶叫して応援していたのは彼に再起不能になって欲しかったからではない。彼に再起不能に「なってほしくなかった」からだったのに。


2ちゃんねるではこんなカキコミがあった。

61 :名無しさん名無しさん@腹打て腹。 :03/09/25 01:39
このまえ地元のパチンコ屋に引退した矢代家康がパチスロうってた。
あいつって脳内出血でリタイヤしたんだけど
1日中打ってて1回も笑ってなかった。常連仲間と話していても・・・。
後遺症かなりあった。 こいつには勝てるっていえないけど
弟にはがんばってほしいね。