弱い僕、やさしくない君。

という名のエッセイでも書こうかと思う今日この頃。

きっかけは、長崎の女子児童カッターナイフ事件。昼間、喧騒の中にあって一際異様だったこのニュースに、我が職場も大騒ぎ、というか俺が騒いだのだけど、みんなの反応は
「戦後のゆとり教育の弊害ですよ!(冷笑)」
日教組が悪い(冷笑)」という月並みなものでした。
サトーさんが、「いやー、その月並みな感想の説得力ったらないよね」みたいなことを言っていてなぜか職場は和んでいた。

はてさてその晩、深夜になってしまったのでタクシーで帰宅したところ、運ちゃんがその事件について、「やっぱりねえ、世相が悪いのよ。あのぅねぇ、戦後の教育が悪い」とゆるやかに話しだした。「日教組が悪いんだ」
と、キレイにステレオタイプしてくれたので、思わず噴出しそうになった。

ところが、運ちゃんの話には続きがあって、「世相の悪さ」が全ての原因だ、と付け加えている。
北朝鮮から純ちゃんが苦労して5人も連れて帰ってきたのに、誰も『ありがとう』って言わない。ひどいよね」
「でも、地村さんのお父さんが『曽我さんの手前、お礼が言えなかったのが悔やまれる』って言ってましたよ」
「ふーん」
「でも他の未確認の家族達も結構すごい非難ごうごうでしたよね」
「そうなのよ、何もあんなに怒りつけないでもって思うよ。5人帰ってきたんだし。やさしくないっていうかね、世相がいつも怒ってるっていうかね」

ここで運ちゃんの言いたいことは大体わかってきて、話をシフトして「ワイドショー二極論が日本人を糾弾体質にしている」という話をしたのだが、理解してもらえなかった。ただ、結論として、日本全体が「やさしさがたりない」ということについては大筋の合意を得たところで自宅到着。有意義だった。

というわけで、表題のようなエッセイをかいてみようかと思った次第。ヒマがないのでたぶん書かないけど。